2. 冬の松本「松本市歴史の里・旧制松本高等学校・おきな堂」
2020年 02月 18日
朝食はバイキングで、昨夜の個室でいただけるので静かにゆったりいただきました。
大浴場にも行ってみましたが、やっぱりお部屋の露天風呂の方が良いな。
無料シャトルバスで松本駅に送っていただきました。
お世話になりました!
今日はタウンスニーカーの一日乗車券を買って市内をまわります。
先ずは西コース・ロングコースで歴史の里博物館に向かいます。 たてもの野外博物館で一番手前にあるのが、明治41年(1908)に松本城二の丸御殿跡に建てられた二代目の「旧松本区裁判所庁舎」です。
建築には旧開智学校を手掛けた大工棟梁の立石清重が携わりました。
和風の裁判所建築で現存するものは6件ありますが、最も完成度が高く重要文化財に指定されています。
訟廷は、外部から土間廊下を通って入廷する被告人・弁護人・傍聴人と、事務室棟から入廷する判事・検事との動線を分け、床高に段差を設けるなどの戦前の司法制度を今に残しています。 シンプルな格天井にシャンデリアが付いています。
このシャンデリアは旧名古屋控訴院・地方裁判所大法廷のシャンデリアを参考に復元されました。 司法の館らしいきちっとした廊下。 隣にあるのは大正15年(1926)に建造された「旧松本少年刑務所独居舎房」。
平成2年まで現役でした。 独房に入ることができますが、やめときます。
「旧昭和興業製糸場」
大正時代に建造され平成7年まで使用されていたため、動態保存されています。 ここはNHK大河ドラマのロケにも使用されたそうです。 小雪が舞ってきました。
事務所の方によると、今季の雪は二度目との事です。
「工女宿宝来屋」は江戸時代後期に野麦街道沿いに旅人宿として建てられました。
明治から大正時代には、飛騨から諏訪・岡谷の製糸工場に向かう工女たちが宿泊しました。
「あゝ野麦峠=ある製糸工女哀史」の作者・山本茂実の資料も展示されています。 二階には借金取りから身を隠す「隠し部屋」もありました。 現在「松本地域の魅力発信!近代化遺産カード」が配布されています。
カードホルダーもあるので、集めたくなりますね。
西コース・ロングコースの一時間に一本のバスで戻ります。
松本駅で東コースに乗り換えて、
中町通りでバスを降ります。
白壁となまこ壁の土蔵が立ち並ぶ通りで、お土産のバウムクーヘンを買わないとね。 女鳥羽川を渡り四柱神社で御朱印をいただきます。 川沿いには縄手通りがあり、骨董屋・お土産屋・飲食店が並んでいます。
骨董屋さんで古いお菓子の型を見つけて主人は嬉しそう。 中町通りに戻ります。
中町蔵の会館は1888年に作られた「大禮酒造」の母屋で、手作りイベントが開催されていました。
時間がないので体験できませんが、可愛い木彫りのベビースプーンを買いました。
かんなだけで作られたとても滑らかな肌触りの優しいスプーンです。
お昼は信州そばにしようかとも思ったのですが、
「時代遅れの洋食屋 おきな堂」さんでいただきます。 昭和8年に菓子店翁堂から「翁堂喫茶部」として独立。
木造三階建の店舗は当時のままです。
陶器のランプシェードもカウンターの上にある美しいアールのついた天井の仕切りも素敵です。 ポークステーキと迷いましたがカツサンドに決めました。
コクのあるカレーもカツサンドも美味しかったです。 本日のチョコレートケーキ。 プリンアラモード。 カフェオレ。
どれも見た目も味も懐かしい感じで、とても美味しかった♪
女鳥羽川を見下ろせる二階も行ってみたかったわね。 懐かしの看板建築。
タウンスニーカー・東コースであがたの森公園に行きます。 旧制松本高等学校校舎は重要文化財となっています。
旧制高等学校は、明治27年の高等学校令により高等中学校から高等学校に改称され、明治41年までに一高から八高までのナンバースクールが開校しました。
松本市は長野市との誘致合戦に勝利し大正7年に九つめの官立旧制高等学校として松本高等学校の設立が決定しました。
(八高に次ぐ九高という名に強い願望がありましたが、国の方針により地名が冠された松本高等学校という校名になりました。
なので校章には9本の放射状のラインが入っています。)
大正8年に松本城二の丸に仮校舎で開校、翌9年にあがたの森に本館ができました。
西洋建築様式を簡略化して木造建築で造られています。
戦後、旧制松本高等学校は信州大学となり昭和48年(1973)まで使用され、その後松本市が公民館・図書館として保存・活用したために良好な状態で保存されています。 復元された校長室。
信州大学、いい感じだったんだなぁ。
講堂は耐震補強工事中で見学できませんでした・・・残念!
隣に旧制高等学校記念館があります。 ここから中庭が見られるんですね。
明治19年(1886)から昭和25年(1950)まで、旧制高等学校は帝国大学への進学の特権を与えられた学校制度でした。
10代後半の三年間、帝国大学を目指すとともに人間形成の大きな刺激を享受した若者達は、勉学は元より西洋思想に触れたりスポーツなどに打ち込み自己の可能性を思う存分発揮する事ができました。 なんだか楽しそうですねー
ここは!先ほどランチをいただいた「おきな堂」さんですね。
学生さん御用達とは、行って良かった♪
卒業生には北杜夫(斎藤宗吉)、辻邦生らがいます。
餌がもらえると思ったのかしら。
ごめんなさいね、何も持ってないのよ・・・
ポケットにパンでも忍ばせてくれば良かったなぁ。
旧開智学校に行く時間はなくなりました。
またいつか立ち寄ってみたいです。
美ヶ原温泉も良かったし、市内も静かできっと教育環境も良いのだろうなぁ。
雪も少なくなっちゃったし、住みやすいかも♪♪
by lovelymorning59
| 2020-02-18 23:55
| 2020 日本の旅